4/19 3年ゼミ~哲学~
お久しぶりです。春休みが終わって3年生になったコトミです。
そして3年ゼミが始まりました。
まあ昨年度の振り返りをちょこっと。
2年ゼミでは観察やインタビュー、ミズノさんとのプロジェクトに取り組んでる人もいたり…
私の場合は「無意識の行為を設計する」の課題をやってた。
それに加えて、先生から機会をいただいてゼミの時間外でワークショップ(学食の新しい収入源、クリーンソリューション)に参加してみたり。時々イベントにも参加したり。いろんな経験をして、本当に学びが多い1年間でした。
そして、3年ゼミの前期では何をすることになったのかというと、、
「問いを立てる、視野を広げる」だそうです。
そのために私たちが学んでいくことは
哲学、旅、文学、音楽、美術!
まず最初は哲学。
次回のゼミでは、哲学の専門である須長先生にお越しいただき、ワークショップをしていただきます。
WSの事前課題として、マーク・ウェイトン『人間とは何か』を読んで利己主義について考えるよういわれました。
考え始めたらきりがなく、人の良心を疑う1週間を過ごしました…
課題↓
①利己主義についてどんな感想を持ったか
老人ひどいこと言うなあって思ったけど、老人の言うことは事実だなとも思った。たしかに利己主義的な考えは誰にでもあるんじゃないかな。
すべての行動を「結局自分のためでしょ」って言葉で括られてしまうとすごく嫌な気分になるけど、冷静に考えるとそうなのかなという気もする。
②その理由はなにか
あっ!って気づいてから助けた瞬間まではその人のために行動したことでも、後から考えるとやっぱり自分のためかもってことが思い当たるので、老人のいうことは事実であると思った。
例えばバイトで「シフト代わってほしい」って言われたら困ってる人を助けるために代わるけど、心では「今度自分が休むとき代わってもらおう」とか「感謝されたい」とか少なからず考えてるわけで。世の中すべての人間がそう思うかは別として、私はそういう考えも持ってる人間なんだと思う。
たとえ自分のためでも、誰かの役に立ててるなら利己主義だと言われても構わないかなと思った。
この『人間とは何か』で例に出ている火事で考えてみると、建物が燃える中子どもが助けを求めている。そこに助けに行く人っていうのは、その子どもの親だから、その子どもを知っているから、むかし自分も火事の中から助けてもらった経験があるから、とか色々な事情が考えられる。
でもこれって、やっぱりその子どもを助けることで自分の気持ちが落ち着いたり、その子どもが生きていてくれることが自分にとって大事なことだから助けるっていう心理が見えてくるように思える。
③利己主義は正しいか
あまり認めたくないけど、利己主義は正しいと考えます…
でも、利己主義の定義を調べてみると他人の利益を無視、軽視することって書いてあった。
そんなこと言われるとやっぱり正しいと認めたくないなと思ってくるけど。
利己主義を正当化すると、人の厚意をありがたく受け取れなくなってしまう。でも相手が私の利益を無視していたとしても、結果的に私自身が救われたと思えるなら利己主義者のことを否定しようとは思わない。
自分に何かしてくれる人がいるだけでありがたいことだと思えるし。
そして利己主義を正しいと言うことで道徳や倫理が否定されてしまうのかという問題だけど、それは違うと考える。
違うと思いたい。
道徳心があるからこそ人を助けるという行動ができるのあって、たとえ自分のためであっても善い行いをしていることに変わりはないと思うから。
利己主義は正しいって結論に至ったけど、道徳や倫理は否定したくないし、考えすぎてよくわからなくなってきた。
全然まとめられてなくて自分の意見も弱いけど、みんなのブログとか読んで明日のゼミでもう一度ゆっくり考えてみようと思います☺︎
以上です(*´-`)