6/28 ゼミ~文学①の続き~
こんにちは。コトミです!
①の続きです。
②はまた次のブログに書きます。
前回のブログでは、課題についてだけを書いたので、今回は講義の内容とかフランケンシュタインを読んだ感想とかを書こうと思います。
英文学を読む
石川先生が「英文学を読む」という内容で講義をしてくださいました。
フランケンシュタインを読むところから始まったのですが、まあ内容を理解するのが難しく感じで、1回読むだけでかなり時間を使っちゃいました。英文学ちょっと苦手です。カタカナが多い。
まず、この本読んでてびっくりしたのが、フランケンシュタインって怪物の名前じゃなかったってこと。
怪物=フランケンシュタイン
だと思ってたから、読んでて「ん?????」ってなってまた最初から読み直すっていう(笑) 理解するのめっちゃ難しいな~って、もう読めない、、、
って思ってました。
しかし!!石川先生のお話を聞いて、もう一回読みたい…!って思いました。
『フランケンシュタイン』めちゃくちゃ面白い、奥深い物語ということがよーくわかりました
1回読むのに何週間もかけて「もう読めない…」とか思ってた私が、もう一回読みたい!って180度態度が変わった理由を書いていこうと思います!
石川先生のお話
★文学とは?
フィクション・ノンフィクション問わず、自分ではない誰かになりきることが可能なエンターテインメントの一種。登場人物の人生や感情を楽しむ。
文学には、純文学、脚本、歌詞なども含まれる。文学のイメージって堅苦しくて難しそうって思いがちだけど、歌詞って聞くとすごく身近でとっつきにくさは全然ないなと思える。
そして、誰かになりきるってのが文学の面白いところで、ワクワクやドキドキという感情を文字によって私たちは味わえる。
私たちが本を読んだときって、
たぶん〜と思った、なんとなく〜だと思う、絶対〜だと思う!っていう感想を持ちがちだけど、なんでこう思ったのかを突き詰めていくと「なぜ?」の連続が続く。
でも結局は「わからない」ってなることもある。
この答えが出ない(わからない)状態を敢えて放置する姿勢を"negative capability"という。
でも今の時代何でもかんでも答えが用意されていて、例えばテレビでいうとバラエティのテロップは良いタイミングで言葉(文字)を意図的に出すことで、私たちの視覚を利用して笑いを誘ってると言えるのです。
「人の感情が言葉によって制御される」って石川先生は仰ってた。恐ろしいですよね。
そこで考えたいのが、先ほどの"negative capability"。
敢えて答えを出さないことで、他者の意見を全て受け入れることができる。受容の幅が広がる。
以前、哲学的対話の時にも"negative capability"という言葉が出てきた。話し合いのとき、結論を急がないって。
哲学の担当をしてくださった須長先生は結論を出さないという安全な殻に閉じこもらない、「思考のアレ化」は避けようとおっしゃってた。
"大事なのは「答えのない問い」に答えを出さずに問い続けることではない"。
ということは、今回の文学で言えば「わからない」も1つの答えとして扱っていいよ、ってことかな。
あーでも、もう一回須長先生のお話聞きたくなったなあ。まだ自分自身理解できてない部分が見えてきた気がする。
利己主義の話が文学の2回目で話題に上がってたし、哲学のブログも読み返しておこう。
フランケンシュタインを読んでの感想
《私》
・怪物がだんだん怖く恐ろしい存在になって悲しくなった
・フランケンシュタインが怪物を作らなければよかったのに…とばかり思ってしまった
・めっちゃ人死ぬ
・怪物が恐ろしい存在になってしまったのは容姿だけが原因なのか不思議に思った
→容姿がまともだったら怪物の存在は受け入れられたのか??
・誰も責めることができないように思えて辛かった
《ゼミ生》
・フランケンシュタイン≠怪物
・ヴィクターへのイライラ
・ヴィクターの自己中心さ
ヴィクターと怪物の関係性は主に3つ。
1.創造主と被創造主
2.親と子
3.神と人間
興味深いですね。3番目とか特に。
1と2の視点は、読みながら自分でも考えられたけど3の関係性にはなかなか気づけないです。
「怪物は人間の成長過程を表す」と石川先生がおっしゃってた。
はぁーそうか!!石川先生は興味深い言葉をいっぱい教えてくれるなあ。最初読むのしんどかったのに、どんどんもう一回読みたいって気持ちが強くなって文学おもしろっ!って思った。
早速、神と人間っていう関係性を頭に入れてもう一回読み始めました!
以上です☺︎